どうも、僕です。
最近、ChatGPTで出来ることを模索中です。
明らかに使いやくすなってますよね。
まあだからと言って、使いこなせているかは別問題なのですが。
そんな中、密かにハマっているのはAIに無茶振りすることです。
人間相手だったら拒絶されそうな依頼でも、なんやかんや受け入れてくれるAIくん。
すごく健気。
ちょっと申し訳ない気持ちにもなるのですが面白いからやめられません。
というわけで、今回はかの有名な『ごんぎつね』を敢えて酷評してもらいました。
いやー、感情のある人間だったらこんなこと絶対にできませんからね。
どんな辛辣な意見が聞けることやら。
ごんぎつねは名作じゃろがい!!!
タイトルに書いてある通り、本稿は超名作『ごんぎつね』について書かれております。
それ故、未読の方にはチンプンカンプンな内容となっております。
また、既読の方にはセンシティブな内容となっている可能性がございます。
両方について、構わないと思う方だけ読み進めてください。
どちらかに引っかかる方は、おススメの小説を僕に教えてから回れ右して下さい。
そもそもどうしてごんぎつねなのか?
実は僕、ごんぎつねを最近まで知らなかったのです。
いや、流石に名前くらいは聞いたことがあったのですが、内容までは把握していませんでした。
知り合いと話していてごんぎつねが話題に上がり、試しに読んでみると……
号泣しました。
兵十……ごん……。
なんという悲しいめぐり合わせ。
こんなん泣くに決まっとるやろがい!
これはどう考えても名作じゃあ!!
という感想を抱きました。
もし、この作品を酷評出来る存在がいるとしたら、それは人の心を持たぬもの。
そうだ、だったらAIに酷評させてみよう!
と思った次第です。
どうやって酷評させようか?
誰もが諸手を上げて褒め称える『ごんぎつね』。
普通にChatGPTくんに感想を聞いただけでは同じように称賛して終わるだけに決まっています。
そこで僕は考えました。
ChatGPTくんに
『辛口書評家として悪い部分に辛辣な意見を下さい』
というロール(役割)とプロンプト(指示)を与えてみたのです。
そして、以下がプロンプトに対するChatGPTくんの反応です。

いやあ、痺れる反応ですね。
こいつぁ俄然楽しくなってきましたよ。
『本気のダメだし、始めましょう。』という部分が
そこはかとなく厨二っぽくて最高ですね。
それではさっそく、本気のダメだし、始めてみましょう。
ダメだ、人類にはまだ早すぎたんだ
というわけで、ChatGPTくんに本気のダメだしをしてもらいました。
いやあ、舐めてましたよ、本気のダメだし。
まさかここまで滅多打ちにしてくるとは。
すべて掲載すると、全校集会している校長先生の台本より長くなりそうなので
要点だけ紹介させていただきます。
これが本気のダメだしだ
〇感情のピークが終盤に偏りすぎている
クライマックス(誤射→真実の発覚)の一点に感情の重みを過度に依存しているため、それ以前の流れがやや「間延び」して感じられる。
もっと早い段階での感情的な山場が欲しい。〇起承転結があまりに平坦
エピソードが淡々と連なっているが、展開に劇的な起伏が乏しい。
読者の感情を一気に引っ張る「引き」や「溜め」が弱いため、中盤で読者の集中力が削がれやすい。〇ごんの性格の転換が唐突
いたずら好き→反省→献身、という流れがあるが、内面の変化が説明されておらず、心理の掘り下げが不十分。
単なる「反省きつね」になってしまっている。
いや、ごんが反省きつねって 笑
初めて聞きましたよそんな日本語。
これでも四分の三くらい削ってます。
もうこの書評家様は言いたい放題でしたよ。
昔の作品ですから多少は仕方ないじゃんとおもったのですが、一切忖度のない感想でした。
最期に総括も頂いていますので、そちらも載せておきます。
総括
この作品は、「動物を擬人化して人情話に仕立てれば泣けるだろ?」という明治大正の感傷主義に頼った化石的プロットです。
ごんの死で泣けるのは小学生まで。
今の読者には「え、撃つんかい…」という違和感の方が先に来る。
悲劇にしたいなら、もう少し人間の愚かさや、言葉の通じない存在同士の隔絶を突き詰めて描け。
でなければ、これは「人語を解するきつねが山の恵みを無言で提供し続けて撃たれて終わる」という意味不明な道徳話です。
ごんの死で泣けるのは小学生まで……。
ええ歳したオッサンのワイが泣いてしまったのだが?
面白そうだからやってみよ、の精神でAIくんにごんぎつねをディスってもらったら
ものすごい勢いで流れ弾が当たっていきましたよ。
まさかここまで名作をこき下ろすとはChatGPT恐るべし。
まだ、ごんぎつねはここまで過去のものではないと思うんですけどね。
マジで化石的プロットは言い過ぎやろ。
AIはもうそこまで進んでいたのか。
ダメだ、ごんぎつねを書評してもらうのは
人類にはまだ早すぎたんだ。
まとめ
- ごんぎつねは名作
- 酷評出来るのは人の心がない証拠
- 人類には早すぎた
以上が今回のまとめです。
実際ごんの死で泣けるのが小学生までなのかどうかはわかりませんが
(小学生でも泣かないかもしれないし)
僕はこの歳でごんぎつねを読み、泣いたことを恥ずかしいとは思いません。
だってねえ、あれは泣いちゃうよ。
切ないじゃん、悲しいじゃん。
十年経とうが二十年たとうが、ごんぎつねで泣けられる大人でいたいと思います。
コメント